052・集スト特有の婉曲技法~仄めかし
集団ストーカーといえば仄めかし。
仄めかしといえば集団ストーカー。
というぐらい、
集団ストーカーの工作としておなじみの仄めかし工作。
★ある時は道端で他人から、
★ある時は知人から(本人の意図は無いのに、思考誘導とタイミング操作(ハイテクノロジーによる)により、結果仄めかしのような状況が生まれることは少くないです)、
★ある時はマスメディアから、
★ある時はインターネットの情報から。
様々な仄めかしチャンスを伺ってくる集団ストーカーと、それをスルーする被害者の構図。
被害者のみなさんにはおなじみですね。
さて、仄めかしの内容にも色々ございます。
★ターゲットの思考・行動を誘導しようとするもの★ターゲットの私生活を盗撮・盗聴していることをアッピールするもの
★ターゲットに、ネガティブ感情を与えようとアッピールするも、工作員の自己紹介となっているもの
★わけのわからん理論を展開するもの(もしかするとマウンティングをしたいのかもしれない?)
上から3つの★は、まあみなさんも分かりますよね。工作員あるあるです。
問題は4つめの★です。
「わけのわからん理論の展開」。
これは一体なんなのか。
「仄めかし」のキモは、婉曲性にあるんです。
ストレートに言っちゃダメなんです。
工作員「君のこういうところ、○○だから、もっとこうした方がいいんじゃないかな」
ターゲット「なるほど!教えてくれてありがとう」
工作員&ターゲット「なかよし」
これじゃ、集団ストーカーガチ勢は汗と涙が止まらないんです。仕事になんないから。
工作員とターゲットが、互いにモヤモヤするようにしないと、集団ストーカー事業が成り立たない。
だから、婉曲性がキモの「仄めかし」とかいうキモくて面倒くさいことをやらせるわけなんですね。
で、この「婉曲性」を高め過ぎたあまり、
あまりに的を射てなさすぎて、
何のことだかさっぱり分からない仄めかしも生まれたりしてしまいます。
何のことだか分からないので、内容はターゲットには理解されませんが、
工作員の「ドヤア」というオーラにより、
「あ、多分これは仄めかしなんだろうな」と、
察しのよい被害者は気づくわけです。
ことに、ネット界隈は分かりやすいですね。
やっぱドヤアやり続けてる人というのは、
特有のオーラがあります。
多分、マウンティングをしたいんでしょうかね。
なかなか悲しいことですね。
こんな人も幸せになれる日が来るとよい。
そういう高度な婉曲技法によるマウンティング事例(=わけわからん理論の展開)は、
とにかくわけわからんのだけど、
とりあえず特有のキモさがあるのです。
このキモさは、何によって担保されているのか。
幾らかの事例を目にしてきて思うのは、
姑息であることを恥もせず、むしろそれでドヤアできるという、価値観の大きな違い、ですね。
それが、キモさの、根源、だ!
平気で反則技を繰り出してきた挙げ句、ドヤる。
私にはとてもできません。
例えば、
ターゲットがサッカーしているときの仄めかしとしよう。
その様子を見た集ストたちが
「手を使えば絶対勝てるのに。足しか使わないなんてバカなの?」
「ボール蹴るとか無駄じゃね?車で移動すれば速いし」
みたいに、見当違いにもほどがある御託を並べて、ドヤアする……という。
ね、キモいでしょ。
そんなことより、
「君のプレー、なんかとてもよかった」
「自分もサッカーやりたくなったわ」
こういう、素直なことをストレートに言える方が、
ずっと楽しいし、
言ってる人自身として、こっちの方がずっと幸せになれるよね。