みんな幸せになっていいんだぜ

どこもかしこもしんどい世の中。 でも、ちょっと斜めに見てみたら、ちょっとなんか楽しくなるかも。 みんな、幸せになっちゃいなよ!なブログです。

042・集団ストーカーの罪罪 ~職場の事例に見る~

集団ストーカーは、ターゲットにとって嫌なものですが、
かといって、ガチ工作員や加害組織にとって素晴らしいものである、という訳でもないのです。


一時的に「やった、儲かった」ぐらいに考える工作員や加害組織もあるかもしれませんが、
それは刹那的なものであって、まやかしですね。



集団ストーカーが蔓延っている社会の仕組み自体が、
ほとんど誰の得にもなっていない(どころか害になっている)のだから…


みんな昔は、美味しいごはんを自力で作る能力があったのに、その能力を無理やり奪われて、
代わりに与えられるクサい飯に喜んでいる状態なのです。(比喩です)


そんな事を考える出来事があったので紹介します。



★集団ストーカーの罪罪(功罪の功が無い)★
☆職場編☆

集団ストーカーが激化する以前から、
仕事をする上での妨害はありました。

非合理的なやり方を強要される、
改善案を明確な理由もなく却下される、
業務上必要な重要なことを教えてもらえていない、
スケジュールを狂わされる、
など…

今思えば集ストあるあるです。
職場の人も、喜んでやっている人ばかりではなかったことでしょう。

当時の素直な私は、「郷に入っては郷に従えか…」と思って、萎縮してしまいました。
上述のような仕事での工作は、
単なる妨害だけでなく、
ターゲットの本来の力を発揮させない、能力をつけさせない、活躍させないという意図も大きくあるのでしょう。
(集スト体質温存のためには、ガチ工作員以外が活躍すると困るからね)


ということで、素直で真面目だった私は、
みるみる萎縮して、与えられたことを与えられたとおりにやるというスーパーロボットモードに切り替え、(洗脳の成果ですね…)
私生活の方で楽しけりゃいいや状態でした
(しかし、それも邪魔してくるんだから集ストなんて本当にキモいものですね)


そんなこんな、私生活を楽しむ方にシフトしていたところ、
集ストが激化していったのです。


で、職場においては
「仕事が遅い」だの「仕事ができてない」だの、あからさまに言われるようになるのですが、
そりゃ、すんげー仕事の妨害されまくってるから当然なのであります。
仕事ができないように妨害されてんだからね。
その上、睡眠も十分でなかったり、私生活も崩されてるわけだし。
(ついでに言うと給料も少な過ぎる。負わされる精神的苦痛と少しも見合っていなかった。もはや愚痴祭りですが…)


そんな<<仕事ができない>>私のために、
本来なら入るべきは、
フォローなり指導なりでありますが、
まあ実際に入ってくるのは妨害&悪口&妨害。
矛盾だらけなんですよ。
(ちゃんとしたフォローや指導が入ることもありました。みんながみんな工作をしたくてたまらないわけではないのは分かっています。)


職場では「効率化を」と喧伝されている。
スピードも重視されている。

しかし、実態としては、
大きな無駄をわざわざ作っておいて、その中で小さな効率化を行っているだけ。

大きな無駄を作らなければ、スピード化なんかしなくても、しっかり時間はある。
無駄なことをせず、必要なことにじっくりと取り組めば、質の高い仕事ができる。

なのに、真逆のことをやっている。
矛盾している。

何がしたいのか。
質を悪化させたいのである。
何の質か。
この国の、だろう。




仕事を進める上で、過去の書類を調べていた。
集ストが激化するちょっと前の頃の、自分が作った資料があった。
「郷に入っては~」と思っていたとは言え、
前例の書類があまりにも分かりにくいものだったことを受けて、自分なりに改善を試みたものだった。
今ではすっかり忘れていたが、他にもそんなものを幾らか見つけた。
まだ自覚はなかったとはいえ集ストの渦中でも、がんばっていたのである。
もっといいものを作れる人は幾らでもいるのではあろうが、
「今の自分に、同じものが作れるだろうか…」と不安になった。


仕事の妨害をされ(私生活の妨害もされて)、
「仕事が遅い」などと言われ続けた結果、
仕事ができるようになったと言えるのだろうか。

無駄に空気を気にしたり、
非合理なことを文句言わずやったり、
スピードを取って質を落とすようになったというだけなのである。


「仕事ができない」追い込みは、「もっと要領よくなるようにがんばれ」ということにはならないのである
これが指導というなら、完全にやり方が間違っている



会社に一体何がもたらされたのだろうか??
会社の改善に繋がったのだろうか??
「仕事が遅い」と言わせていた人たちは、何を期待していたのだろうか??



正面切って、
「退職に追い込もうとしています」
「善良な人々を洗脳しようとしています」
「社会の質を落とそうとしています」
と言ってりゃいいんだよ。

その方がよほど誠実。



指導と称したモラハラをやりながら、
「美しい未来を」とかキレイごとを抜かしているのだから、
もう、皮肉にしかならないのである。
詐欺です。
詐欺なのです。



指導に一家言ある主体による指導を受けた私(何に対しても良い点を見つけられる、もともとポジティブな性格です)の感想がコレなもんですから、
その一家言が響き渡ってる世の中って超怖いなって思いますよね。
昔の人は色々懸念されていたみたいですね。
今はあまり言えないのでしょうけど。
もちろん、中の人たちがしんどいことは重々分かっています。
誰も得をしないのです。
みんなで苦しくなっているだけ。

本当はみんな、幸せになっていいんですよ。