012・速いことは素晴らしい、という幻想 #コラム
時は金なり、という言葉がありますね。
確かに時間は、簡単には取り戻せない、
とても大切なものです。
1日1日を大切にして生きることは、
自分の人生を大切にすることであり、
とても素晴らしいことだと思います。
ただし、近代社会における「スピード偏重」、
これは、一見、時間を大切にすることのようにも見えますが、
よくよく考えてみると、
上述のような、人生を大切にすることとは、
本質的に違うことが分かります。
「スピード化」「効率化」などは、
素晴らしいことのように謳われ、
当然為すべきこととして推し進められていますが、
しかし、これらは、
人間にとって、本当によいものなのでしょうか?
「スピード化」や「効率化」、
現代社会においては、ことに、
「仕事」に関する面で、私たちの価値観に大きく作用しています。
例えば、職場での指摘として、
「仕事が遅い」や「無駄なことをやるな」
といったものは、かなり一般的なものであり、
それらが使われるシーンを想像するのは、
多くの人にとって容易いのではないかな、と思います。
「仕事が遅い」や「無駄なことをするな」
という指摘の底にあるのは、
「スピード化」や「効率化」が<絶対的に正しいものである>、という思い込みです。
"しかし、本当に<絶対的に正しい>のか?
冒頭に挙げた「時は金なり」という有名な言葉。
時間と天秤にかけるのは、<金>なんですよね。
資本主義なんですよ。
私たち労働者の「時間」は、
時給によって切り売りされている。
「人間として、人生を大切にすること」と、
「労働者として、時間を切り売りすること」は、
全く別のことです。
仕事に関して言われる「時間を無駄にするな」
というのは、
断然、後者として用いられているのです。
決して、人生を大切にしろと言っているのではない。
現代社会に生きる私たちは、
「スピード化」や「効率化」が、
あたかも当然に素晴らしいことのように思い込み、
日々を過ごしています。
しかし、このような価値観は、
誰かの思惑のもと、無理矢理思い込まされているに過ぎないのかもしれません。
「スピード化」や「効率化」を強く推し進めると、
目先のことばかりを意識せざるを得ず、
短期的で表面的な成果主義に陥りやすい。
すると、社会は徐々に衰退していくほかない。
ただし、目先の成果のみを見つめているうちは、
それに気づかない。
後から衰退に気づいたときは、
まさか「スピード化」や「効率化」が原因だとは思いたくもなく、他のところに原因を求めるのでしょう。
社会が豊かであるためには、まず、
そこに暮らす人間が豊かでなければならない。
人間が豊かであるためには、
「アソビ」が必要である。
自動車のハンドルの「遊び」。
「スピード化」や「効率化」を進めて、
そこに新しい仕事を入れる。
お金は入るかもしれないけど、
「遊び」はどんどんなくなってしまう。
それで心が豊かになるのだろうか。
「時は金なり」の価値観としては正しい選択かもしれないけれど、
自分の大切な人生を、やたらめったら切り売りしてもよいのだろうか。
個人を責めるつもりはありません。
社会の構造が問題なのです。
生活のために働くのは尊いことです。
私も時間を切り売りして生きています。
ただ、個人の認識が変わればと思い、
ブログ記事にしました。
「当然」「当たり前」と思っていることは、
実は大した根拠はないかもしれない。
ともすれば、誰かの利益のためになる価値観を、
無理矢理押し付けられているのかもしれない。
現代に生きる私たちは、
「時間」を、一方向に進む不可逆的なものとして捉えることが多いかと思います。
しかし、昔の日本の人たちは、
「時間」を、循環するものとして捉えていたとも言われています。
価値観なんて、時と場所と人によって、全く違ってくるのです。